1:2015/08/31(月) 18:41:30.51 ID:
慰霊祭:関東大震災の朝鮮人虐殺 「負の遺産」向き合い 八千代 /千葉
毎日新聞 2015年08月30日 地方版
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20150830ddlk12040150000c.html
8231a036.jpg

関東大震災(1923年)直後の混乱期、各地で相次いだ軍隊や自警団による朝鮮人虐殺事件では、県内でも多くの犠牲者が出た。八千代市高津では毎年9月に地元の寺院や住民らが慰霊祭を行っている。地域にとって「負の遺産」ともいえる史実に向き合いながら供養を続けている。【小林多美子】

高津区の観音寺境内に建つ「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」(99年9月建立)には、6人の朝鮮人が弔われている。

慰霊祭は毎年9月初旬に行われ、今年も6日午後2時から営まれる。寺と高津区、県内の虐殺事件を調査してきた「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」(吉川清代表)の3者が共同で開催している。

震災直後から、「朝鮮人らが放火や強奪などの暴動を起こしている」などのデマが流れ、県内にも広まった。虐殺の実数は明らかではないが、首都圏を中心に6000人以上、県内では300人以上の朝鮮人が犠牲になったともされる。

当時、「軍郷」だった習志野には軍関係施設が多数あり、仮宿舎だった高津廠舎(しょうしゃ)に朝鮮人や中国人が保護の名目で収容された。実行委の調査によると、高津など周辺地域の住民に、軍から「朝鮮人を取りに来い」と命令があったという。少なくとも18人が住民に渡され、殺されたとみられるという。八千代市内には高津を含め4カ所に供養塔などが建立された。

実行委の平形千恵子さん(74)は「当時、軍の指示は絶対で、住民が逆らえるものではなかった」と、事件の背景を解説する。

高津区では現場に63年から住民が観音寺の住職と共に卒塔婆を建て供養。78年ごろから実行委が住民らに聞き取り調査を始め、83年に寺、住民、実行委による現場での慰霊祭が始まった。

遺骨は現場に埋められたままだったが、実行委の呼びかけもあり、震災から75年後の98年9月に発掘され、翌年に観音寺に改葬、慰霊碑が建てられた。「住民の皆さんは苦しい思いの中、『孫や子の代までこのままにしておくわけにはいかない』と発掘を決断してくれた」(平形さん)

慰霊祭は毎年40~50人が列席し、在日韓国・朝鮮人も参加。船橋市で毎年1日に追悼式をしている朝鮮総連県西部支部(船橋市)の文剛(ムンガン)委員長(61)は「恨みなどではなく、同胞の無念さを伝えるため追悼を続けている。高津の皆さんが慰霊碑を建ててくれた気持ちに感謝している」。観音寺の関琢磨住職(57)は「事件を風化させてはいけない。供養を続けていきたい」と話す。

◇船橋でも追悼式

追悼式は船橋市の市営馬込霊園でも9月1日午前11時半から行われる。同園には47年に在日朝鮮人連盟千葉県本部(当時)によって建立された「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」がある。式は朝鮮総連県西部支部主催で実施され、関東大震災が発生した同11時58分に黙とうする。

震災当時、船橋市では北総鉄道(現在の東武野田線)の建設工事が進められていた。多数の朝鮮人が工事に従事していたため、デマの広がりで、軍や自警団による事件が相次いだ。

慰霊碑は当初、旧船橋火葬場(現在の同市北本町)に建てられた。同所には、24年に船橋仏教連合会が朝鮮人を弔うため建立した「法界無縁塔」があった。いずれの碑も63年に現在の馬込霊園に移転した。