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(イメージです。)


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:2016/04/16(土) 17:41:25.65 ID:
韓国南部で旅客船セウォル号が沈没し、修学旅行中だった高校生など300人を超える犠牲者を出した事故から2年を迎えた16日、現場の海域に近い島で追悼の催しが行われ、今もなお行方が分からない人の家族らが早く船を引き揚げてほしいと訴えました。

韓国南部の沖合で旅客船セウォル号が沈没した事故では、修学旅行中だった高校生など295人が死亡し、今も9人の行方が分かっていません。

事故から2年を迎えた16日、船が沈没した現場の海域に近い島、チンド(珍島)で行われた追悼の催しには、遺族や行方が分かっていない人の家族などおよそ500人が出席しました。

当時、高校2年生だった娘の行方がいまだに分からない母親は、「この2年間、涙を流すことしかできませんでした。来年のきょうには船体の引き揚げが終わり、娘が家族のもとに戻ってほしい」と、一刻も早い船の引き揚げを訴えました。

そして、地元の高校生が追悼のことばを述べたあと、参加者たちが黄色の風船を飛ばしました。

沈没した船体について、韓国政府は、ことし7月末の引き揚げ開始を目指すとしているものの、現場の海域は潮の流れが速く、船体の腐食も進んでいるため作業は困難が予想されています。

事故を巡っては、乗客の避難誘導を適切に行わず、殺人などの罪に問われていた船長に対して無期懲役の判決が確定していますが、政府や民間の有識者などで作る特別調査委員会が現在も原因究明を続けています。

ソース:NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160416/k10010483691000.html 
 
=管理人補足=
 
google・yahoo翻訳です。読み難い部分もありますがご了承下さい。
 
「見たい、忘れない」...全国各地の追悼の波/ YTN
2016/04/16に公開
 
[アンカー]
歳月号惨事2周期を迎え、全国では追悼の波が続きました。いつのまにか2年が過ぎ、新しい春がきたが、まだその日の懐かしさと悲しみはそのままでした。チェ・ミンギ記者が報道します。

[記者]
歳月号惨事2周期を迎えた4月16日。追悼式が開かれた山の政府合同焼香所には、黄色いリボンをつけ追慕客の足が絶えません。生きていた場合、学校を卒業して一緒に笑っていた、最愛の娘と見たい息子。惨事の犠牲者304人を追悼する場所に遺族と市民をただ目頭を赤くつけます。

[パク・イェジン/故パク・イェスルの弟:
私はまだお姉さんの声が聞こえてお姉さんの姿が二つの目にちらちらする。私がこんなに痛がる時ならみんな大丈夫であると抱きしめてくれたお姉さんの懐が懐かしい。]

それとともに遺族は惨事真相究明と完全年月号引き揚げも重ね訴えました。

[ジョンミョンソン/「4.16歳月号惨事家族協議会」運営委員長:
年月号完全引き揚げされ、9人の米収拾が家族のもとに戻ってくることができるように助けてください。]

市民烏川で人は黄色い雨着を着て追慕行進も引き続きました。304個の仮面 · 9個の大型人形とともに子供達が通ったその道に付いて去った人々を称えました。追悼公演もあちこちで開かれました。ソウル光化門広場には、詩人の歌手たちが集まって追悼詩と歌を伝え、その日の痛みを上にしました。

【イムソンリョン/詩人:
遺族やこれらの人々を覚えているすべての人に慰めをしたくて、この詩を書いた。]

一般人の犠牲者41人が安置されたチュモグァンも仁川家族公園への扉を開いた。遺族など約300人が参加した中、追慕客は犠牲者のために献花し、追悼する時間を持ちました。政府も首相の主宰で第二の国民安全の日の行事を開いて犠牲者を追悼し、安全を約束しました。