1:2016/05/09(月) 13:12:50.71 ID:
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▲関東大地震朝鮮人虐殺推定写真[聯合ニュース資料写真]

(済州=聯合ニュース)ピョン・ジチョル記者=1923年関東大地震当時、日本の人々によって虐殺された朝鮮人が含まれた死亡者名簿が日本の公式文書で発見された。この71人の名簿には韓国政府が昨年末公式確認した関東朝鮮人大虐殺事件被害者の一部と当時の虐殺証言内容と一致する朝鮮人名が含まれている。
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▲関東大地震朝鮮人虐殺推定写真[聯合ニュース資料写真]

これは高野宏康、北海道小樽商科大学教授と朝鮮人虐殺の真相究明に半生を捧げた日本人、西崎雅夫氏、呉充功ドキュメンタリー監督などによって9日公開された。これらの研究結果によれば大地震翌年の1924年から日本東京市震災救援事務局が申告を受けて作成した被害者記録カードの「地震災難臨時死亡者名簿」に朝鮮人の記録が含まれることを2008年、高野教授が東京墨田区横網町公園東京都慰霊塔納骨堂倉庫で発見した。

高野教授は当時、東京都慰霊協会が保管する日本人犠牲者カードを調査している時、偶然に朝鮮人カードが混ざっていることを知った。その後、西崎氏は朝鮮人名簿をこつこつと整理した。5万枚に達する死亡者名簿調査票の中で西崎氏が現在まで選び出した朝鮮人は71人だ。中国人など外国人まで合わせれば全100人余りになる。調査がさらに進めば朝鮮人数はもっと増えるものと見られる。

この死亡者名簿は日本政府の指示を受けた東京市震災援助事務局が補償金を与えるために被害者申告を受けて作成したものだ。死亡者の名前と生年月日、本籍、死亡住所などが記されている。特に、東京の駐日韓国大使館移転過程で発見された1950年代韓国政府作成の関東大地震当時、朝鮮人虐殺被害者名簿中、国務総理所属'対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会(以下支援委員会)'が公式確認した被害者も一部含まれていた。

韓国と日本の記録で全部確認された虐殺推定者は慶尚北道義城郡出身のパク・ドクス、パク・ミョンス氏などだ。その他にも関東朝鮮人大虐殺の時、東京江東区亀戸警察署で強行された虐殺を記録した証言に出てくる犠牲者の済州道大静邑仁城里出身の趙卯松(1891~1923・当時32才)氏家族も含まれた。当時の証言とその後なされた聯合ニュース追跡調査を通じてチョ氏一家族5人が抹殺されたことが分かったが。今回の資料には趙卯松氏と彼の妻、文戊連(1885~1923・38才)、彼の弟、趙正昭(1900~1923・23才)の3人の名前だけが含まれていた。

証言は「日本軍人らがいっせいに刀を抜いて朝鮮人83人を一度に殺し、この時、身ごもった夫人もひとりいたが、その婦人の腹を切って腹から幼い赤ん坊が出てきた。その赤ん坊まで刺殺した」と伝えている。臨月で虐殺された夫人は趙卯松の妻、文氏であった。

チョン・ヘギョン元支援委員会調査課長は「当時、地震が発生した場所は東京中心部であり朝鮮人は主に東京郊外周辺に集団で居住しながら大量虐殺されたので朝鮮人の場合、純粋に地震により死亡した人は多くない」と話した。チョン課長は「日本政府から補償金を出すと申告を受けたが朝鮮人の場合、虐殺による恐れが大きくて多くの人が申告しなかったことはあり得る」と説明した。

ソン・ジュヒョン、チョンアム大教授は「資料を直接見ていないので正確に言うのは難しいが、この名簿に地震で犠牲になった朝鮮人と虐殺された朝鮮人が混ざっているかもしれない」として「資料に対するもう少し綿密な分析と調査をしなければならない」と話した。
(中略)

高野教授と西崎氏は「記録は2008年に発見されたが、韓日両国間の問題などにより以前はメディアに公開されなかった。重要なのは証言に出てくる犠牲者の名前と本籍が一致する死亡者記録が出てきたこと」と強調した。朝鮮人大虐殺を主題に三回ドキュメンタリー映画を作った在日同胞オ監督は「確認された事実ではないが、この一帯と別の地域で虐殺された韓国人の死体が一度にこちらに移されて埋められたといううわさが伝えられている。委員会は昨年、解散したが本格的な追加真相調査が必要だ」と話した。

ソース:聯合ニュース(韓国語) 関東地震の時死亡韓人名簿日公文書で発見…虐殺された人含む
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2016/05/02/0200000000AKR20160502130400056.HTML
 
=管理人補足=
ご紹介が遅くなりました。ご了承下さい。