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 「親愛なる和平さん、もう10カ月も会っていないね。娘は6歳になったよ」。5月初め、こんな書き出しの手紙が中国のインターネット上に出回った。

 著名な人権派弁護士、李和平に宛てて妻が書いたものだ。李が連行された後、北京での居住許可を取り消され、アパートから追い出されたとつづり、「最も悔しかったのは、娘が一番望んでいた小学校に入学できない、と当局者に告げられたとき。涙が止まらなかった」と告白している。

 2015年7月9日は「暗黒の木曜日」と呼ばれる。中国全土で弁護士や人権活動家ら約100人が一斉拘束されたこの日、李も囚(とら)われの身となった。

 「盲目の人権活動家」として名高い陳光誠(4年前に米国に亡命)の弁護を担当するなど、政府に陳情する者や人権活動家らの支援に努めた李。16年1月に「国家政権転覆罪」の疑いで正式に逮捕されたが、治安当局は家族や弁護士との接見を現在も認めていない。

 米国に本部を置く国際人権団体の統計では、12年まで10年間続いた胡錦濤政権下で投獄された政治犯や思想犯は66人。欧米や日本の常識ならおびただしい数といえる。しかし、習近平政権下では発足以降の3年余りで500~600人を拘束、胡の時代の10倍に到達しそうな勢いだ。

 胡錦濤時代の逮捕者は2010年度のノーベル平和賞受賞者、劉暁波のように、中国共産党の一党独裁体制を批判する活動家が多かった。しかし今は、李のような共産党政権を否定しない体制内の弁護士も弾圧の対象となっている。進学や就職を含む日常生活の妨害も露骨になってきた。

 北京のある民主化活動家は、「当局の言うことを聞かないとひどい目に遭う、という見せしめのためにやっている」と指摘した。

 文革中、「反革命」「裏切り者」などを理由に投獄された政治犯は少なくとも数百万人に上るといわれる。家族までも「黒五類」と呼ばれる敵対階級と位置付けられ、徹底的な差別を受けた。そこから抜け出すため夫婦が離婚したり、つるし上げられた親を子が殴ったりする悲劇が起きた。

 しかし、毛沢東時代の政治犯は民衆に軽蔑されることが多かったのに比べ、近年の政治犯は英雄視されることも少なくない。ある陳情者は、「弱者を支援する人権派弁護士が国家政権の転覆を企てたなんて、誰が信じるものか」と話した。

 習政権下の政治犯は毛の時代とは違い、家族から離縁されるケースはほとんど聞かない。そうした家族を支援する市民団体も多くできた。

 昨年12月に北京で行われた人権派弁護士、浦志強の判決公判では約100人の陳情者らが裁判所前に集まり、「無罪だ」と訴え警察ともみあう場面もあった。

 毛の時代と習の時代。締め付けの傾向に類似点はあっても、民衆の心情は様変わりしている。

 文化大革命(文革)さなかの1968年4月5日、中国東北部の黒竜江省ハルビン市で行われた公開裁判で、反革命罪に問われた電気計器工場の技術者、王永増と巫炳源(ふへいげん)に対し、判決が言い渡された。

 「被告人を死刑に処す。直ちに執行する」

 判決を聞いた巫は突然、天を仰ぎ見て「この世界は暗すぎる」と叫び、目を閉じた。その後、処刑されるまで目を開けることはなかったという。

 「抗議の気持ちを表そうとしたのだと思う。目を開けても閉じても世の中は暗いと言いたかったのかもしれない」。この裁判を取材した地元紙のカメラマン、李振盛が振り返る。

 判決後、2人はすぐトラックに乗せられ、道の両側が人々で埋め尽くされた市街地を引き回された後、郊外で銃殺された。

 文学青年だった王と巫は、「向北方」(北の方角へ)という同人誌を作り、知人などに配ったが、地元の革命委員会はその題名を問題視した。黒竜江省の北に位置するのは当時、中国と激しく対立していたソ連。2人は国を裏切ってソ連への内通を図った疑いで逮捕されたのだ。

http://www.sankei.com/world/news/160517/wor1605170005-n1.html
http://www.sankei.com/world/news/160517/wor1605170005-n2.html
http://www.sankei.com/world/news/160517/wor1605170005-n3.html
http://www.sankei.com/world/news/160517/wor1605170005-n4.html
http://www.sankei.com/world/news/160517/wor1605170005-n5.html

>>2以降に続く)