1:2016/05/26(木) 17:59:02.75 ID:
24日午後、慶尚南道陜川郡陜川邑(キョンサンナムド・ハプチョングン・ハプチョンウプ)の総合社会福祉館3階。韓国原爆被害者協会陜川支部の事務所に入るとすぐ片側の壁に額縁に入れられた10枚ほどの写真が見えた。

1945年の広島に投下された原爆の被害者の姿だ。ある写真は炭のように黒くこげた男性だが、口には吸っていたたばこがそのままくわえられている。両腕にやけどを負い顔に斑点が出ている写真もあった。

シム・ジンテ支部長(75)は「私が幼かった時には陜川市場に行けばあの写真の姿の原爆被害者を簡単に見ることができた」と話した。

陜川原爆被害者はほとんどが広島に強制徴用されて行った人たちだ。原爆が投下され、ようやく集めた財産をすべて失いどうにか命だけは助かり故郷に戻った。しかし歓迎する人はいなかった。

原爆被害者福祉会館に住むキム・ドシクさん(81)さんは「やけどを負いみすぼらしい姿で市場で物乞いをしたので当時の人たちは私たちを『帰還同胞』ではなく『憂患同胞』と呼んだ」と話した。

原爆が投下されてからすでに71年が過ぎたが傷はまだ癒えていなかった。原爆第1世代は自身の病名も知らずに亡くなった。2月基準で原爆1世の生存者は全国に2570人だ。

このうち陜川に最も多い625人が暮らす。原爆投下当時広島に居住していた韓国人の60~70%が陜川出身のため被害者が多い。陜川が「韓国の広島」と呼ばれる理由だ。

1996年に韓日両国政府の支援で原爆被害者に寝食を提供する「原爆被害者福祉会館」が陜川にできたのもこうした背景のためだ。定員110人の会館には現在103人が暮らしている。

福祉会館の裏には原爆被害者1055人の位牌を祀った慰霊閣がある。

記者が訪れた24日、70~80代の彼らはほとんどが居間のいすに座ってぼんやりと窓の外を眺めたり部屋と居間をゆっくりと歩いていた。しかし被爆当時の状況は生き生きと記憶していた。

イ・スヨンさん(88)は「朝ちょうど事務室に到着したらドンと爆発音が聞こえて気を失った。目を開けたら血だらけになった体にガラスの破片が刺さっていた」イさんは「ここにいる人の大部分がいろいろな病気に苦しめられたが、それが原爆の後遺症という事実を知らなかった」と話した。

2002年から原爆2世・3世の被害問題が本格的に公論化された。自身を原爆被害者2世だと明らかにしたキム・ヒョンリュルさん(1970~2005年)を通じてだ。その年に原爆被害2世患友会(会員1300人)も作られた。

患友会名誉会長のハン・ジョンスンさん(57)は「会員らは本人や子どもたちが知的障害、甲状腺、ダウン症など各種疾病で苦痛を受けているがだれも被害者と認められずにいる」と話した。ハンさんの両親は陜川が故郷で広島で被爆した。

ハンさんは30代に関節が壊死する珍しい病気と判明し人工関節手術を受けた。24歳で結婚して産んだ息子は脳性まひ障害を患っている。韓国政府は原爆2世の被害者を7600人程度と推定している。3世の被害者は現況さえ把握されていない。

協会代表団は26日にソウルの米国大使館前で記者会見をした後日本に行く。27日にオバマ米大統領が広島を訪問する時に韓国人原爆被害者の実態を知らせ謝罪を受けるためだ。

シム・ジンテ支部長は「韓国人原爆被害者は強制徴用と被爆という二重の被害を受けた。オバマ大統領は広島にある韓国人原爆被害者慰霊碑を訪れ謝罪しなければならない」と話した。

中央日報 2016年05月26日
http://japanese.joins.com/article/155/216155.html
http://japanese.joins.com/article/156/216156.html
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