1:2016/06/05(日) 18:20:43.27 ID:
フィリピンの次期大統領に就任するロドリゴ・ドゥテルテ氏(71)は6月2日、報道陣の質問に苛立ちをつのらせ、「お前らバカは私を脅したり出来ない」などと発言した。

ドゥテルテ氏は5月31日にも、「腐敗したジャーナリストは処刑されるべきだ」と発言している。「報道関係者は言論の自由が法律で守られてはいない。

君たちがジャーナリストであるというだけで、もし最低な奴であっても暗殺から免除されているというわけではない」と述べ、女性記者に罵声を浴びせた。

世界の報道弾圧を監視するNPO「ジャーナリスト保護委員会」によると、1992年以降少なくとも77名のジャーナリストがフィリピンで殺害された。殺された人たちの60%以上が政治記者だった。
 
ドゥテルテ氏の脅迫に近いコメントで、国境なき記者団はドゥテルテに法的手続きを開始し、フィリピンメディアに、ドゥテルテ氏が謝罪するまで、彼の報道会見はボイコットするよう促した。

6月30日に大統領として宣誓するまで、ドゥテルテ氏はダバオ市の市長として留まることになるが、2日夜、報道陣に向かって「自分たちのことばかり考えすぎている」と話した。

ドゥテルテ氏は2日、「お前らバカは私を脅したり出来ない。これでダバオ市に来るのは最後にしろ」と発言し、記者たちに自分を追いかけ回さないように抗議した。

理由は定かでないが、国連もドゥテルテ氏の暴言の餌食となった。

外国メディアの報道の自由について聞かれ、自分と関係のない質問をされた時にドゥテルテ氏は切れた。「それが問題なんだ。

国連会議でいつもあれやこれやと危機感を煽るんだ。(国連は)中東の修羅場でさえ解決できない...アフリカでは指一本上げられなかった...だまれ、お前ら全員」

■ ローマ法王フランシスコを「売春婦の子」と呼ぶ

ドゥテルテ氏のこうした発言は今に始まったことではない。彼はダバオ市で起きた刑務所暴動で集団強姦され殺された女性宣教師に「自分も強姦したかった」と発言し、国際的に非難を買った。

また彼は裁判にかけず殺害することを公然と支持したり、ローマ法王フランシスコを「売春婦の子」と呼んだりしたことでメディアを騒がせた。

5月30日、カトリック教会の指導部から受けた批判について報道陣から質問されたドゥテルテ氏は短く、しかし痛烈に返答した。

「オレをなめんじゃねえぞ」

ハフポスト 2016年06月04日
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/04/philippines-leader-duterte-_n_10292410.html 
 
 
14: :2016/06/05(日) 18:38:32.55 ID:
【フィリピン】もったいない「市長を差し置いて先に強姦」 支持率トップの市長が被害者侮辱発言で非難噴出[4/25] [無断転載禁止]©2ch.net 
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1461586784/ 
【フィリピン】ロドリゴ・ドゥテルテ次期大統領、死刑復活を公約[5/16] [無断転載禁止]©2ch.net 
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1463382820/ 
【フィリピン】「南シナ海に旗立てる」と中国挑発 ロドリゴ・ドゥテルテ比大統領選有力候補[4/26] [無断転載禁止]©2ch.net 
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1461631146/ 
【フィリピン】犯罪者殺害に初の報奨金、警官に計35万円[6/4] [無断転載禁止]©2ch.net 
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1465099979/
 
 
=管理人補足=
ロドリゴ・ロア・ドゥテルテ(Rodrigo Roa Détente[1], 1945年3月28日 - );
フィリピンの政治家。ダバオ市市長で、次期フィリピン共和国大統領である。フィリピンのタグン市出身。
レイテ島出身。父親は法律家、母は学校教師という家庭に育ち、幼少時にダバオ市に移った。大学時代の恩師はフィリピン共産党の創設者ジョマ・シソンであり、シソンからは大統領選での支持も受けている。
 
大学卒業後はダバオの検察官として約10年働いた後、政界に進出。
母方の祖母が華人であり、ドゥテルテ本人も中国語についても「聞いて分かる」と語っている。
 
1988年にダバオ市長に選出され、1992年と1995年に改選、3期務める。4期以降はフィリピン共和国憲法の多選禁止規定に引っかかるため、1998年には、にダバオ市初となる下院議員となり、2001年まで務める。2001年に再びダバオ市長に立候補して当選し、2004年と2007年に改選され3期、合計で市長職を6期務めた。
 
2010年のダバオ市長の改選では、憲法の多選禁止規定により、ドゥテルテ自身は立候補できず、娘のサラ・ドゥテルテを立候補させ当選、ロドリゴは副市長となった。2013年の市長選挙で再び出馬し当選、7期目の市長を務めることとなった。

選挙戦中は、過激な発言を行う人物として、同時期に進行していた2016年アメリカ合衆国大統領予備選挙の共和党候補であるドナルド・トランプになぞらえ、「フィリピンのトランプ」とも揶揄された。
しかし、フィリピン共和国大統領選挙に勝利し、当選後の会見では「冗談であった」とするなど、選挙期間中の過激な発言を修正し始めている。
 
wikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%86
 
95324.png