1:2016/07/08(金) 11:41:19.45 ID:
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三重「正論」懇話会の第5回講演会で習近平政権の野望を語る石平氏=津市

 三重県津市で1日に開かれた三重「正論」懇話会の第5回講演会で、拓殖大客員教授の石平氏が「中華帝国史から解き明かす習政権の野望」と題して講演した要旨は次の通り。

 ■領土の概念なし

 秦の始皇帝が武力で中国を統一する前は、中華帝国は存在しなかった。そのいろんな国があった時代に、中国の文化は繁栄した。多くの思想家が生まれたが、例えば「論語」を書いた孔子は、統一された後の中国で生まれたら粛正されるだろう。紀元前221年の始皇帝の中国統一が歴史の不幸の始まりだ。

 次の漢王朝(前漢と後漢)は周辺の国々に朝貢させる冊封体制により、中国を頂点とした華夷秩序を作り上げた。「華」は中国、「夷」は周辺はみな野蛮民族という意味。漢王朝の最初の頃は周辺地域の内政にあまり干渉しなかった。ある意味ではやさしい覇権主義だったが、前漢の武帝が登場する時代に圧倒的な軍事力と経済力を持つようになり、周辺の国々を滅ぼして土地を奪う侵略政策を進めた。朝鮮半島や南越(ベトナム)、西に向かってはほぼ中央アジアにまで拡大し、大帝国になった。今の中国のエリートにとって心の中の一番の英雄が武帝。この時代を再び実現したいと思っているのが習近平政権である。

 後漢が滅ぶと、三国志で知られる内戦と分裂の時代になる。その後、晋王朝も短命で、南北朝の時代がしばらく続く。

 再び統一するのが隋。この時代は高句麗が強かった。随は高句麗征伐を3回くらいやったが、ことごとく失敗に終わった。それがひとつの原因となって隋王朝は滅ぶ。中国だけ統一しても永続しない。外国侵略を成功させてこそ、中華帝国は長続きできるという法則ができる。

 邪馬台国の卑弥呼(2~3世紀)は朝貢したが、推古天皇の時代に政治をつかさどった聖徳太子(6~7世紀)は隋の煬帝(ようだい)に「日出ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という国書を出した。煬帝は非常に怒った。一説には「日出ずる処」の表現が逆鱗にふれたといわれるが、中国にとって問題なのは日本が「天子」と称したこと。中華思想では中国こそ世界の中心で、天子である皇帝こそが世界全体の唯一の主(あるじ)。日本の天皇と称するものが天子と称すのはけしからん、となる。

 中華思想には領土という概念がない。分かる範囲のすべての土地はすべて、中国皇帝のもの。だから国境も存在せず、永遠に拡大する同心円的な世界観がある。あまりに遠い山など、中国が支配したくない場合は現地の民族に任せるが、そこも理論的には中国のもので、いつでも支配できるというのが中華思想。日本もその気になれば中国の土地になるという考えだ。

 聖徳太子が出した国書は、日本という国のいわば独立宣言。もはや中華帝国の属国ではない。むしろ中国と対等の立場に立つと。実際にそうなった。以来、中国と貿易をしたいために朝貢の形をとった足利義満の例外はあるが、日本は中国に朝貢してこなかった。危なかったのは民主党の鳩山政権。あと2~3年続いていたら…。とにかく、東アジアの中で唯一、朝貢せずに華夷秩序の外に身を置いて独立を保ってきたのが日本という国だ。

 ■本性隠した改革政策


 侵略戦略、覇権主義、中華秩序。そういう考え方を受け継いで、中華帝国の復活を図っているのが習政権だが、実は習政権に始まったわけではない。

http://www.sankei.com/west/news/160708/wst1607080015-n1.html

>>2以降に続く)