韓国 国旗 
(イメージです。)


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:2016/08/08(月) 16:51:46.53 ID:
 日韓関係がぎくしゃくしたままである。韓国の歴代大統領は任期満了間際に人気に陰りが見え始めると、日本批判を繰り広げ、国民の支持をつなぎ留めようとする。

 そうしたあしき傾向を批判していた李明博(イ・ミョンバク)前大統領も支持率が下がると竹島に上陸し、日本批判を始めた。現在の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、父の朴正煕(チョンヒ)元大統領が日本の士官学校に留学していたことからくる非難をかわすためか、就任当初から異常ともいえる反日姿勢をみせた。しかし、それでいながら、経済問題や対北朝鮮問題などでは日本の協力を求めてくる。

 こうした国際的にみても異様で非常識な態度はどこから生まれてくるのであろうか。私は華夷システムと中央集権制にあるのではないか、と考えている。

 華夷システムとは古代から近世に至るまで中華帝国を中心とした平和維持システムのことである。漢、唐、宋、元、明、清といった中華帝国は周辺の朝鮮、ベトナム、満州、チベット、モンゴル、琉球といった王朝の軍事権、外交権を制限して紛争を防ぐ代わりに、朝貢を求め、朝貢の数倍の見返りを与えて各王朝の経済的安定を図ってきた。また、それらの王朝が侵略を受けた際は、中華帝国が軍事力を発動して侵略に対処した。

 朝貢する側の国、これを藩屏というが、藩屏は朝貢することでその数倍の経済的利益を得て、国内経済を安定させることができるし、軍事権を制限されているおかげで、軍事費が不要となり、対外交渉も中華帝国に委任することで、頭を悩ます必要がなくなるのである。軍事、外交、経済はお任せ、要はおんぶに抱っこなのだ。

 このシステムは2000年近くにわたって東アジアで行われ、その結果、システムに組み込まれた藩屏は自助努力を怠るようになっていく。軍事、外交、経済を中華帝国に依存するのが当たり前になり、王朝は国内での搾取に狂奔するようになる。これが中華帝国の目的であったことは論をまたない。

 中央集権制は説明の要はないであろう。問題はこの制度が中世、近世で行われると、それは猛烈な搾取、収奪を生むということである。中央から派遣された官吏は任期中に、赴任先で搾取の限りを尽くし、農民は塗炭の苦しみにあえぐ。当然のことながら、地方経済は衰退するが、朝貢による経済支援があるので、王朝は維持される。

 日本も平安時代中期まで中華帝国(唐)に朝貢を行っていた。しかし、海を隔てていたこともあって経済的な恩恵はほとんどなく、ひたすら仏教を中心とした学問的な享受であった。さらに894年に遣唐使を廃止して華夷システムから完全に離脱した。同じく平安時代中期までは、中央から国司が派遣される中央集権制であったが、地方の勃興により分権的となり、荘園の発達で中央集権制は崩壊、封建(地方分権)制へと移行した。

 その結果、各地方は経済的衰退を招かないために、搾取を行わず、新田開発や特産品の開発などに力を注ぐようになった。日本は中世以降、地方の豊かさを育んできたといえる。江戸時代の各藩の名産品は現代にまで息づいているのだ。

 しかし、朝鮮においては地方文化はほとんどみられない。あるのは中央に対する不信、怨嗟(えんさ)である。これは韓国だけではない。北朝鮮も同じである。自分のわがままを通しながら、困ったことが起これば大国に救済を求める。大国が救済するのは当たり前との感覚である。そこには自助努力のかけらもない。

 同文同種の隣国は同じ発想に立っていると考えがちだが、日本と韓国は発想の原点からしてまったく異なっている。自分で考え行動するという当たり前のことを2000年間怠ってきた国とどう向き合っていくのか、相手国の歴史と文化を理解しないと、いつまでも振り回される。
 
(編集委員・大野敏明 おおのとしあき)
 
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