韓国 国旗 
(イメージです。)


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:2016/08/18(木) 10:52:51.50 ID:
韓国与党「1948年の建国、金大中元大統領も主張」
野党、朴大統領の発言を「独立運動の正統性を否定」と批判

 「大韓民国の建国」は1948年なのか、1919年なのか。

 韓国の与野党が17日、韓国の建国の時期をいつとするかをめぐり、論争を繰り広げた。与党側は現在の韓国政府が樹立された1948年を、野党側は「大韓民国臨時政府」が樹立された1919年を、韓国が建国された年と見なしているが、今月15日の光復節(日本の植民地支配からの解放を記念する日)に朴槿恵(パク・クンヘ)大統領と、野党・共に民主党の文在寅(ムン・ジェイン)元代表が異なる認識を示したことで、論争に火が付いた格好だ。

 与党セヌリ党はこの日、党の最高委員と重鎮議員による懇談会で「『1948年8月15日を建国節として記念すべきだ』というのはとぼけた主張」という文・元代表の最近の発言を問題視した。

 鄭鎮碩(チョン・ジンソク)院内代表は「文・元代表こそ、反歴史的、反憲法的、反国家的なとぼけた主張を慎むべきだ。(初代大統領)李承晩(イ・スンマン)博士の功罪については認め、(臨時政府の)金九(キム・グ)先生のような独立志士の愛国心もありのまま受け入れるべきだ」と述べた。ナ・ギョンウォン議員は「(1948年の建国を否定するのは)韓国政府の正統性を否定したり、正統性の意義を弱める行為だ」と主張し、趙源震(チョ・ウォンジン)最高委員は「金大中(キム・デジュン)政権下でも(1948年を建国の年と見なし)大々的な建国50周年記念行事を行った」と述べた。議員たちの発言が続く中、李貞鉉(イ・ジョンヒョン)代表は「国会の場を通じ、国民の前で健全な討論がなされるよう、あらゆる方法を模索していく」と主張した。

 一方、共に民主党の党大会(今月27日)で選出される新代表に名乗りを上げている候補者たちは、15日の光復節記念式典での「きょうは71回目の光復節であり、(1948年から数えて)建国68周年だ」という朴大統領の式辞について批判した。李鍾傑(イ・ジョンゴル)議員は17日、ラジオ番組に出演し「大統領の資格がないことをはっきりと示した。朴大統領は臨時政府をはじめとする抗日独立運動の正統性を否定したがっているようだ。(日本の)関東軍に属した父親を意識してのことではないか」と主張した。

 キム・ソンゴン議員もこの日「今年の8月15日は、71回目の光復節であって、建国68周年ではない。朴大統領の『建国68周年』という発言は、大韓民国の正統性を否定するものだけに、撤回すべきだ」と主張した。秋美愛(チュ・ミエ)議員も「日本の植民地支配の被害者である元慰安婦たちの問題にも言及すらせず、光復節に『建国節』を強調したのは、抗日独立運動を否定し、建国以前の親日行為(日本の植民地支配に賛同・協力)正当化しようとする下心があってのことではないか」と述べた。

宣政敏(ソン・ジョンミン)記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/08/18/2016081801288.html 
 
=管理人補足=
連合国の首脳は1943年に発表したカイロ宣言の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」事を宣言した。1945年2月、ヤルタ協定にて連合国首脳は戦後朝鮮を米・英・中・ソ四国による信託統治下に置くことを決定、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいてソ連軍は8月9日の対日参戦後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。
 
1945年8月15日、大日本帝国がポツダム宣言の受託を宣言し、朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国ではこれを「光復」と呼び、8月15日を光復節という祝日に定めている。光復後、朝鮮は北緯38度以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)をアメリカ軍にそれぞれ占領された。米軍司令部は9月7日に朝鮮における軍政(占領統治)実施を宣言し、独立運動家らが自発的に樹立した朝鮮人民共和国や大韓民国臨時政府の政府承認を否定した。
 
9月9日に進駐軍は朝鮮総督府から降伏文書の署名を受け、南朝鮮では新設された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した。
 
連合国は同年12月のモスクワ三国外相会議にて朝鮮半島の信託統治を協定し、翌1946年1月から京城府で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。だが、共同委員会は信託統治受け入れに反対(反託)する李承晩、金九ら大韓民国臨時政府系の右派の扱いを巡って紛糾し、米ソ対立から1947年7月に決裂した。アメリカは朝鮮問題を国際連合に持ち込み、国連は1947年11月14日に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。
 
翌1948年1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行なった。ソ連がUNTCOKの入北を拒否した為、アメリカ主導の国連は2月26日にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、金九、金奎植ら大韓民国臨時政府重鎮や北朝鮮人民委員会による南部単独での総選挙反対を押し切って5月10日に南部単独総選挙を実施した。
  
選挙によって成立した制憲議会は7月12日に制憲憲法を制定、7月20日には李承晩を大韓民国大統領に選出して独立国家としての準備を性急に進めた。
 
そして光復から3年後の1948年8月13日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言、8月15日独立祝賀会が行われ、実効支配地域を北緯38度線以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓民国が独立国家となった。
  
南朝鮮単独で大韓民国が建国された翌月の1948年9月9日、大韓民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は金日成首相の下で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立した。
 
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD#.E7.8B.AC.E7.AB.8B.E3.81.AB.E8.87.B3.E3.82.8B.E7.B5.8C.E7.B7.AF