1: :2016/08/22(月) 21:07:21.79 ID:
満州国軍の兵力は約15万(終戦時)。建国時(昭和7年)に交わされた日満議定書で満州国の国防は日本軍(関東軍)に委託されており、満州国軍は補佐的に一翼を担うことになる。
当初は張学良配下の旧東北軍などの軍閥、日満混合の靖安(せいあん)遊撃隊ら雑多なメンバーで構成されていたが、自前で士官(満州国軍では軍官と呼んだ)を養成する軍官学校を設立し、軍隊としての体裁を整えてゆく。
もちろん日本が“首根っこ”を押さえる形ではあった(日本人は指揮官のみ)が、軍官学校は満州国を構成する5族(日、満、漢、鮮、蒙)すべてを受け入れた。日本人軍官の上官に中国人が就(つ)いたり、モンゴル人騎兵部隊を日本人指揮官が率いるユニークな軍隊になったのである。
◆日本陸士を受けたが…
満州国の首都新京(現・中国長春)に創設(昭和14年)された陸軍軍官学校には、5族のうち蒙(モンゴル人)を除く4族が在籍。漢、満族と生活習慣などが相いれない蒙族のみ、彼らの居住地域にあった興(こう)安(あん)(こうあん)軍官学校で養成された。
新京の軍官学校においても日系と満系(漢、満)との区別(選考方法や所属区隊)はあった。その中で日本統治下の朝鮮出身者(鮮系)は1期~6期まで満系に加えられていたが、19年12月入校の最後の7期は日系扱いに変わった。
この変更は5族協和を謳いながらも、日本が厳然と頂点に君臨する満州国のヒエラルキー(階層的秩序)に微妙な変化をもたらす。国軍内では「鮮系がその次になった」と見る向きもあったからである。
同時に鮮系志願者の選考制度も変わった。たとえば、韓国大統領になった2期生の朴正煕(パクチョンヒ)は満州国軍の試験を受けて入校しているが、7期生は日本人志願者と同じく日本の陸軍士官学校(予科)などを受験した中から“廻(まわ)し合格”というべきシステムで軍官学校の門をくぐっている。
一方で“廻し合格組”のプライドをくすぐる制度があった。予科は満州の軍官学校だが、本科へ進むときは日本の陸士で、予科から陸士に進んだ生徒と同じ教育を受けられる(軍医、獣医専攻は除く)。満州国陸軍軍官学校5期生なら日本陸士59期相当、同6期生→同60期相当である。トップエリートだった日本陸士組とそこで肩を並べることができるというわけだ。
19年12月、17歳になったばかりの金は、酷寒の満州に向かう。
産経新聞
http://www.sankei.com/premium/news/160821/prm1608210021-n1.html
つづく
=管理人補足=
満州国軍(満洲国軍、まんしゅうこくぐん);
満洲国の国軍。1932年(大同元年)創設。1945年(康徳12年)解体。
当初は「国内の治安維持」「国境周辺・河川の警備」を主任務としており、軍隊というよりは関東軍の後方支援部隊、或いは警察軍や国境警備隊としての性格が強かった。後年、関東軍の弱体化・対ソ開戦の可能性から実質的な国軍化が進められたが、その時を迎えることなく終戦を迎え、満洲国軍も解体された。
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E8%BB%8D
当初は張学良配下の旧東北軍などの軍閥、日満混合の靖安(せいあん)遊撃隊ら雑多なメンバーで構成されていたが、自前で士官(満州国軍では軍官と呼んだ)を養成する軍官学校を設立し、軍隊としての体裁を整えてゆく。
もちろん日本が“首根っこ”を押さえる形ではあった(日本人は指揮官のみ)が、軍官学校は満州国を構成する5族(日、満、漢、鮮、蒙)すべてを受け入れた。日本人軍官の上官に中国人が就(つ)いたり、モンゴル人騎兵部隊を日本人指揮官が率いるユニークな軍隊になったのである。
◆日本陸士を受けたが…
満州国の首都新京(現・中国長春)に創設(昭和14年)された陸軍軍官学校には、5族のうち蒙(モンゴル人)を除く4族が在籍。漢、満族と生活習慣などが相いれない蒙族のみ、彼らの居住地域にあった興(こう)安(あん)(こうあん)軍官学校で養成された。
新京の軍官学校においても日系と満系(漢、満)との区別(選考方法や所属区隊)はあった。その中で日本統治下の朝鮮出身者(鮮系)は1期~6期まで満系に加えられていたが、19年12月入校の最後の7期は日系扱いに変わった。
この変更は5族協和を謳いながらも、日本が厳然と頂点に君臨する満州国のヒエラルキー(階層的秩序)に微妙な変化をもたらす。国軍内では「鮮系がその次になった」と見る向きもあったからである。
同時に鮮系志願者の選考制度も変わった。たとえば、韓国大統領になった2期生の朴正煕(パクチョンヒ)は満州国軍の試験を受けて入校しているが、7期生は日本人志願者と同じく日本の陸軍士官学校(予科)などを受験した中から“廻(まわ)し合格”というべきシステムで軍官学校の門をくぐっている。
一方で“廻し合格組”のプライドをくすぐる制度があった。予科は満州の軍官学校だが、本科へ進むときは日本の陸士で、予科から陸士に進んだ生徒と同じ教育を受けられる(軍医、獣医専攻は除く)。満州国陸軍軍官学校5期生なら日本陸士59期相当、同6期生→同60期相当である。トップエリートだった日本陸士組とそこで肩を並べることができるというわけだ。
19年12月、17歳になったばかりの金は、酷寒の満州に向かう。
産経新聞
http://www.sankei.com/premium/news/160821/prm1608210021-n1.html
つづく
=管理人補足=
満州国軍(満洲国軍、まんしゅうこくぐん);
満洲国の国軍。1932年(大同元年)創設。1945年(康徳12年)解体。
当初は「国内の治安維持」「国境周辺・河川の警備」を主任務としており、軍隊というよりは関東軍の後方支援部隊、或いは警察軍や国境警備隊としての性格が強かった。後年、関東軍の弱体化・対ソ開戦の可能性から実質的な国軍化が進められたが、その時を迎えることなく終戦を迎え、満洲国軍も解体された。
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD%E8%BB%8D