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▲姜宇奎(カン・ウギュ)先生
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▲ソウル駅前にあるカン・ウギュ義士の銅像

1919年9月2日午後5時。朝鮮総督府第3代総督に赴任する斎藤 実(さいとう まこと)が乗った汽車がソウル駅に到着した。汽車からおりた斎藤一行は駅前で歓迎行事を終え、官邸へ向かう馬車に乗った。それと同時に突然'バーン'という音とともに天地が揺れた。爆弾がさく烈したのだった。

偉業前のこの日の午前。カン・ウギュ先生は準備した爆弾を絹のタオルに包んで腰に固く結んだ。その上にチョゴリと外套を着れば、いつでも手を差し込んで簡単に爆弾を取り出せた。この日が来るまでカン・ウギュ先生の人生は容易ではなかった。1910年の国権剥奪後、満州に渡った彼は新興の村を建設して広東中学など6つの学校をたて民族教育事業に献身した。

実兄に漢学と漢方医術を習い、漢方病院を経営した彼は相当な富を積んだが、教育事業に全財産を注ぎ込んだ。カン・ウギュ先生は常に心の中に安重根(アン・ジュングン)義士のような偉業をなしたいという夢を持っていた。そうするうちに、祖国で3・1運動が起きるとすぐに進んで偉業計画を準備した。

ロシア人から英国制爆弾1個も購入した。問題は日本巡査の目を避けて爆弾を国内に搬入することだった。先生は爆弾を脚の間にしばってソウル市内まで潜入することにした。ウラジオストックから元山、ソウルまで遠い道だった。幸い成功的にソウルに到着した彼は新任総督の赴任情報を聞き込み、斎藤が9月2日、赴任する事実を知った。

新聞に載った斎藤の写真を切り取って持ち歩きながら彼の顔を覚え、毎日のように駅周辺の地形・地物を調査、爆弾を投げる最適の位置を探った。

偉業当日。同僚とともに南大門(ナムデムン)外の中国料理店で昼食をとった彼は偉業の位置へ向かった。先生の計画は具体的だった。斎藤を爆殺し、その場で自作の詩一首を詠じてから日本警察に捕まること。

ついに斎藤が駅前に姿を表わし、先生は独立の念願を込めて、ただ一個の爆弾を彼に投げた。年齢66才。結果だけみれば、斎藤暗殺作戦は失敗に終わった。偉業直後、混乱した群衆の隙間を抜け出した先生は再度の義挙を計画した。しかし、16日後に巡査キム・テソクに捕まり、結局、死刑宣告を受けた。

死刑確定後も先生は安らかな気持ちで最後の日を待った。悲しむ人々には「私の一生で国のためにした仕事が何もないというのがむしろ恥ずかしい」と逆に慰めた。彼は「私が寝てもさめても忘れられないのは、私たちの青年たちの教育」とし、「私が死んで青年たちの胸に小さな衝撃でも与えることができれば、それは私が願うこと」と話した。

彼には死までも独立運動の一環だった。翌年11月29日、西大門(ソデムン)刑務所でカン・ウギュ先生の死刑が執行された。その日も先生の挙措に乱れはなかった。「斷頭臺上 猶在春風 有身無國 豈無感想(断頭台上、なお春風あり、身体あれども国無く、あに感想無からんや)」心境を問われた日帝の検事に先生は短い詩を残して殉国した。

2011年9月2日。カン・ウギュ先生が日本総督の馬車に向かって爆弾を投擲したその場には92年後に先生の銅像が立てられた。

チン・ギョンジン記者

ソース:マネートゥデイ(韓国語) 97年前今日...日帝に向かって、ただ一個の爆弾を投げる
http://news.mt.co.kr/mtview.php?no=2016090114264211436&MMHN

関連スレ:【日韓】 日帝はなぜ朝鮮の漢方医を抹殺しようとしたのか~日本総督に爆弾投げた漢方医、姜宇奎(カン・ウギュ)義士[03/09]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1457612241/