1:2016/09/15(木) 14:55:28.68 ID:
(写真)
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▲ 我が国で最初に発売された三養ラーメン(左)。
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ラミョン(以下、ラーメン)の歴史は韓国社会の成長と共にある。国が貧しかった時代、『びっくり』と同時に登場したラーメンは、一時のひもじさを慰めるための庶民の心強い食糧となった。現在は大勢の人の空腹感を抑える食品に、簡単な腹ごなしの簡易食に、時には酒を飲み過ぎた翌日の酔い覚ましとして愛されている。赤い汁にコドゥルコドゥル(少し硬めの食感)の麺は、変らず私たちの食欲をそそる。

53年前の今日(1963年9月15日)は、我が国で初めてラーメンが発売された日である。クブルグブル菓子
(くねくね菓子)のように固まった揚げ麺と汁用に別に包装されたスープは、当時としてはかなり衝撃的なビジュアルだった。この硬い麺が沸騰したお湯で戻り、コシのある食感の麺に変化するのも不思議な事だった。

この日我が国で初めてラーメンを発売した企業は三養(サンヤン)食品。三養食品は日本のラーメン技術を取り入れて、国内初のラーメンを作った。政府から資金援助を受けた三養食品は、日本の明星食品のラーメン機械2台を買い受けて韓国式ラーメンを作る事に成功する。日本が世界で初めてラーメンを開発した1958年よりも約5年後の事だった。

この製品は赤い袋に100gの麺と鶏肉スープが入っていた。価格は約10ウォン。当時の教師の月給が約1万3000ウォン水準、ミシン縫製者の月給が3000ウォンだった事を考慮すれば、かなり安い食べ物だった。

実は三養ラーメンは、我が国の困難な現実を反映した我々の歴史でもある。日帝の強占期と朝鮮戦争で食糧難が深刻になると、米の代わりをする簡単で安く食べられる食品を開発したからである。

だが当初人々はラーメンに大した関心を持たなかった。調理をして食事する事が慣れた人々に、既に調理された物を食べるという概念自体に馴染みが薄かったからである。しかし3年間、三養では各種販促イベントと試食イベントを進行して、庶民に慣れた食べ物へと変化した。農心(ノンシム=当時のロッテ工業)もラーメン事業に参入して、ラーメンは徐々に庶民の食品の強者として位置づいた。

マーケットーシェア80%まで占めて成功した三養ラーメンは、1988年に大きな危機を迎える事になる。1989年に非食用の牛脂油でラーメンを作っっているという内容が報道されたからだ。いわゆる『牛脂波動(ショック)』である。この一件は1997年に最高裁判所で事実無根という判決を受けたが、三養ラーメンのマーケットーシェアは10%台まで落ちるなどの致命傷を受けた。

三養の屈曲した歴史とは別に、ラーメンは私たちに変らずに愛される食べ物である。毎年新製品が出て人々の好みの変化に従い、ラーメンの種類も数百種類が出ている。2014年の世界ラーメン協会の調査結果によれば、我が国1人当たりが1年間に食べるラーメンは74個で最も多い。 世界でもその味を認められている。我が国で一番人気が高いAラーメンの場合、世界100数か国に輸出されている。

ソース:NAVER/マネートゥデー(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=101&oid=008&aid=0003742115