中国 
(イメージです。)


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:2016/10/02(日) 12:02:55.04 ID:
 2012年に中国で民主的に自治を獲得したとして国際社会でも話題を集めた広東省汕尾市陸豊市東海鎮烏坎村に、再び風雲が立ち込めている。村の民主的選挙で選ばれた村長が今年6月、濡れ衣に近いかたちで汚職容疑で逮捕され、村人たちが85回にわたり村長釈放を訴えてデモを続けていたが、ついに9月13日、当局は3000人の警官を派遣して抗議活動の首謀者らの逮捕に踏み切った。

 このとき、村民らが投石などで抵抗、警察側が催涙弾やゴム弾で鎮圧した結果、負傷者50人以上の流血の騒ぎとなった。現場では海外メディアは排除され、厳しい統制下にある。逮捕・拘束者は70人に上り、現地取材を試みた「香港01」などの記者ら5人も拘束され、強制退去させられた。

 胡錦濤政権末期に民主的自治を勝ち取った村がなぜ今、このような目に遭っているのか。

烏坎の乱

 この事件について理解するためには、まず2011年から12年にかけて起きた通称「烏坎の乱」から説明しなければならない。この村はもともと、共産党上級機関(陸豊市)から指名された村の党支部書記が牛耳る、よくある中国の農村だった。

 中国の農村は村民直接選挙で選ばれる村長(村民委員会主任)と党上級機関から指名される党書記に支配される二重支配構造だが、実際のところは党書記が村長を兼任するか党書記の子分が村長になるなどして、党が農村運営の実権を持つ。烏坎村では、この党支部に牛耳られた村民委員会が村の農地使用権を勝手に広東省大手不動産業者らに7億元あまりで譲渡し、そこに暮らしていた村民には1世帯当たりわずか550元程度の補償金で立ち退かせ、ほとんどの利益を着服していた。

 この不正事件を発端に、党支部・村民委員会と村の若者の間に激しい対立関係が生じ、11年9月21日、村民3000人規模の抗議デモに発展、当局はこれを数百人の警官隊で鎮圧しようとするも、抵抗を受け、十数人が負傷する流血事件に発展した。このときの負傷者のうち2人は児童で重症を負った。対立はさらにエスカレート、村民側は自分たちで選挙を行って村民臨時代表理事会13人を選出し、旧村民委員会の解散を訴えた。

 こうした状況に陸豊市・東海鎮側は、村の書記らを汚職容疑で更迭するも、村民が選出した臨時代表理事会は違法組織だとして、理事会副会長の薛錦波ら5人の理事会役員を逮捕した。村民はこれに不満の声を上げるが、当局は警官隊に村を包囲させて食料の流通や生活インフラを止め兵糧攻めで村民を締め上げる作戦に出る。

 一方、薛錦波は逮捕された翌日、警察の拷問が原因で死亡し、村民の抵抗運動はさらに激しくなった。村民は当局の暴力と兵糧攻めに対抗すべく、インターネットのSNS・微博を駆使し、村内で起きていることを映像も交えて逐一発信。さらに、香港や外国のメディア関係者を当局の封鎖の網をかいくぐって村に引き入れ、事実を報道させた。

 こうした作戦実行の主力は、90后(1990年代生まれ)の若者たちであり、当時中国各地で起きていた若者の労働争議や環境汚染反対運動などの社会運動の潮流とあわせて、「90后の反乱」とも呼ばれた。

 事態の悪化が周辺の農村に波及することを恐れた当時の広東省党委書記の汪洋(現・副首相)は、側近で当時副書記だった朱明国を現地に派遣、臨時代表理事会顧問の林祖恋と直接交渉を経て、陸豊市の頭越しに、臨時代表理事会を正式の組織と認める発表を行った。

 こうして12年1月15日、陸豊市党委員会は臨時代表理事会顧問の林祖恋を正式に村民代表兼党支部書記に選出し、旧来の烏坎村党支部は解散させられた。このとき、新書記に任命された林祖恋は同年3月、村民委員会選挙で村長に選出された。この事件によって、その後烏坎村は主に海外から「草の根民主の村」と呼ばれるようになった。

再び弾圧

 だが、この「民主の村」が今年6月以降、再び弾圧されはじめる。まず、村長の林祖恋が6月17日深夜、いきなり汚職で逮捕された。冤罪だとみられている。林祖恋は11年の烏坎事件の原因ともなった土地強制収容問題の解決を求めて、上層機関に陳情にいくことを同月19日の村民大会で謀り、同月21日にも陳情を実行する心積もりだった。逮捕はこの陳情行動を妨害することが目的だとされる。

http://biz-journal.jp/2016/10/post_16792.html

>>2以降に続く)