1:2016/11/08(火) 18:57:19.94 ID:
【ソウル聯合ニュース】
 
 抗日武装独立闘争に献身し、後に政治家となった李範ソク(イ・ボムソク)氏の名を冠した韓国海軍の214型潜水艦(1800トン級)8番艦、「李範ソク」の進水式が8日、南部の慶尚南道・巨済で行われた。
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214型潜水艦「李範ソク」の進水式=8日、巨済(聯合ニュース)

 海軍は国の難局を乗り切るために尽力したり、抗日独立運動に貢献したりした人物の名前を214型潜水艦の艦名としている。

 李氏は1900年にソウルで生まれ、日本による植民地時代に中国に亡命。20年には日本軍との青山里戦闘に指揮官として参戦し、勝利に寄与した。46年に帰国し、48年の韓国政府の樹立と同時に初代の首相兼国防部長官に就任。国軍の創設と養成に尽力した。

 「李範ソク」の水中速力は最大20ノット(時速37キロ)。敵の重要施設に対する長距離精密攻撃が可能な射程1000キロの潜対地巡航ミサイル(海星3)を搭載している。

 2018年前半に海軍に引き渡され、同年後半に作戦配備される予定だ。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/11/08/0200000000AJP20161108002700882.HTML
 
=管理人補足=
李 範奭(イ・ボムソク、이범석、1900年10月20日 - 1972年5月21日);
大韓民国の政治家、独立運動家である。(省略)
李承晩政権下では、初代国務総理、初代国防部長官を務めた。
 
三・一独立運動の熱気の中、抗日独立運動を志し、南満州にあった私塾・新興武官学校の教官となった。徐一・金佐鎮の北路軍政署に所属し、青山里戦闘では金佐鎮のもと韓国独立軍の一隊で活躍したとされている。1922年から1925年までソビエト連邦の沿海州で高麗革命軍合同民族連隊の指揮官となるも、自由市惨変や日ソ基本条約、ロシア人妻の自殺でソ連に幻滅して1926年にトムスクを脱出してからは満州で中国軍に勤務する。
 
満州事変後に東北抗日義勇軍で活動。蘇炳文軍の秘書兼高級参謀、馬占山軍の作戦科長を務めた。1934年、部隊が壊滅したため、ソ連へ再び逃亡。その後、中国軍事考察団の一員としてヨーロッパ各国を視察した後、中国に帰還した。1934年、中央陸軍軍官学校洛陽分校特別班学生隊長。
 
日中戦争においては、国民革命軍に参加。(省略)
1940年、韓国光復軍参謀長。
1942年、韓国光復軍第2支隊長。
1945年8月、韓国光復軍挺進軍総司令。
解放後に帰国し、朝鮮民族青年団を創設。自分の勢力基盤とした。
 
その後、1948年7月31日に初代国務総理、8月15日に国防部長官に任命される。当初、李承晩は李允栄を国務総理に任命する予定であったが、国会の承認を得られず、李範奭を指名し、国会の承認を得た。第2代大統領選挙では、李承晩に気に入られようとして、当選させるために暴力団を使ってテロまで起こし、悪名を轟かせた(釜山政治波動)。
その後、自由党政権下ではあまり政治の表舞台には立たなかった。1961年に民族青年団系の軍人クーデター未遂事件が起こると逮捕されたが、すぐに釈放された。
 
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%AF%84%E3%82%BD%E3%82%AF