1:
:2016/11/19(土) 01:29:34.98 ID:

▲島根県石見銀山入口(写真=斗山百科)
[アジア経済イ・ヒョヌ記者]
島根県の石見銀山はユネスコ世界文化遺産の一つで有名な観光スポットだ。15世紀に開発されてから莫大な銀を産出してきた銀山は日本を一時、世界2位の銀生産国にした。
我が国の歴史とも様々な面で密接な関連を持つところだ。この鉱山の銀を開発できるようになった基礎固有技術自体が朝鮮で開発された鉛銀分離法という新技術だった。だからこそ銀開発の初期段階から朝鮮の官僚や商人が密接に介入したと推定されている。当初、日本に初めて銀脈を求めて銀採掘技術を持ってきたのも朝鮮人であることが分かっている。
このように日本全域で掘った銀が朝鮮に今度は銃刀として戻ってくるとは当時、誰も想像できなかっただろう。対外貿易をするほどの生産品がなかった日本が南米ポトシ(Potosi)に続き、世界2位の銀生産国家に浮上し、その銀を通じてポルトガル商人から鳥銃を買った。豊臣秀吉が起こした壬辰倭乱の戦費もまた、石見銀山の銀で用意された。
これらの諸々の事態の出発点は壬辰倭乱が起きる90年前の1503年、咸鏡道(ハムギョンド)端川(タンチョン)に遡る。実録によれば当時、端川炭鉱で働いていた二人、キム・ガンブルとチャン・イェウォン奴婢キム・ゴムドンが鉛銀分離法を開発した。二人は知らなかったが、この技術を世界で初めて開発したのだ。鉛銀分離法は鉛が含まれた銀鉱石から融点の差を利用して鉛を酸化させた後、銀を抽出する技術だ。
以前の銀採取法は金採取より難しく、そのため、当時は銀の値が金の値と同等だった。また、銀は当時、明国で主要貨幣として使われており、明との交易でとても重要な商品だった。そのため、鉛銀分離法が朝鮮全域に広がるとすぐに咸鏡道近郊の銀鉱山があちこちにでき始めた。しかし、中宗反正後の1516年、朝鮮朝廷は行き過ぎたインフレーションを警戒して明国から大規模朝貢要求が入ってくることを恐れ銀鉱を閉鎖するに至る。
朝廷が銀鉱を閉鎖し始めるとすぐに朝鮮商人らは地方役人たちと手を握ってまだあまり手がついていなかった日本の銀脈に注目し始めた。草創期には日本で鉛が混ざった銀鉱石を掘って朝鮮に持ってきて純銀を作り、また売る加工貿易が発展したという。その後、輸送費用などを考慮して最初から日本で純銀を作り始め、日本は世界的な生産国家に変貌した。
朝鮮朝廷の取り締まりはずっと続いたが、民間次元で密貿易が続いていわゆる倭銀(ウェウン)が朝鮮に引き続き流れてきた。この倭銀はまた明国との交易に使われた。1542年には日本からきた外交使節が事務方をしながら大量の銀を市場に流すと銀の値段があっという間に8分の1に大暴落したこともあった。その後、朝鮮朝廷は経済的副作用を憂慮して銀の輸入を公式に禁止するに至ったが、地方役人と商人の貪欲を全部取り締まることはできなかった。
翌年の1543年、日本の種子島に一隻のポルトガル商船が漂着する。彼らが持ってきた火縄銃に魅了された日本の領主らは銀を与えて銃を何袋かずつ買い始めた。初めは現在の価格で2億円に相当する銀を与えて銃を買ったと伝えられる。するとポルトガル商人らは日本と本格的に交易を始めた。壬辰倭乱で朝鮮軍敗北の主要因として作用する鳥銃もまた、このように銀を通じて日本に入ってくることになった。壬辰倭乱当時、日本軍2軍司令官だった加藤清正が咸鏡道を目的地にして進攻したのも端川の銀鉱山を手に入れるためであった。彼は端川銀鉱で大規模に銀を掘って戦費に加えると出立する前に秀吉に報告したこともあると伝えられる。
(中略)
壬辰倭乱後、民間経営制限が完全に解けて銀鉱が多く生じた。あれこれ朝鮮と東アジア全体の歴史と経済に多大な影響を及ぼしたわけだ。
イ・ヒョヌ記者
ソース:ダウム(韓国語) [金曜日に見る経済史]壬辰倭乱呼んだ、朝鮮銀製錬新技術
http://media.daum.net/v/20161118101509804
記者注:本記事はアジア経済の元記事が翻訳中に削除されたため、それを写したダウムをソースとした。
103:
:2016/11/19(土) 02:59:20.33 ID:
264:
:2016/11/19(土) 21:29:15.93 ID:
>>1
マジでこの話はフカシと断言する
大体、水車も作れなかった劣等民族が先端技術って、
なんの冗談だよWw
3:
:2016/11/19(土) 01:31:31.43 ID:
4:
:2016/11/19(土) 01:33:22.64 ID:
7:
:2016/11/19(土) 01:35:15.61 ID:
これは朝鮮で開発された鉛銀分離法を
ジャップに伝える様を描いた貴重な壁画である
19:
:2016/11/19(土) 01:40:33.22 ID:
>>7
朝鮮人なら600年前にまだ壁画を描いてそうだよな(笑)
11:
:2016/11/19(土) 01:36:43.64 ID:
記録にも根拠もないこと言ってオナヌーか?
圧倒的に遅れていたお前たちの同時代と比較して
できると思っているのか?
12:
:2016/11/19(土) 01:37:20.80 ID:
111:
:2016/11/19(土) 03:27:00.41 ID:
15:
:2016/11/19(土) 01:38:33.55 ID:
16:
:2016/11/19(土) 01:38:44.01 ID:
20:
:2016/11/19(土) 01:41:53.00 ID:
朝鮮人がいつも答えを間違えるのは何故か?
それはスタートが間違ってるんだよスタートがwww
答えを導き出すのに「朝鮮人は優秀だったはず」という前提から入ると
正しい答えが出るわけがないw
38:
:2016/11/19(土) 01:52:07.34 ID:
>>20
むしろ結論ありきで考えるからじゃない?
答えは最初から決まっていてそこにたどり着くための
間の部分は全部こじつけ
52:
:2016/11/19(土) 02:06:16.82 ID:
34:
:2016/11/19(土) 01:49:36.00 ID:
火縄銃の値打ちを理解して大金を出した日本、
宗義智から火縄銃を献上されながらも
その値打ちを理解でかなった朝鮮、という点を
反省を込めて強調すべきなのに
相変わらず信憑性の薄い起源主張に走るんだなあ
51:
:2016/11/19(土) 02:04:54.34 ID:
>>34
歴史系の漫画で見ただけだが一丁辺り2億円ぐらいしたんだってさ
長篠の戦いで織田徳川軍が用意した鉄砲が3000丁と言われているから
3000×2億円=6兆円か……すげぇな
177:
:2016/11/19(土) 10:12:45.80 ID:
>>51
国内大量生産したからそんなにはしない。
最初に2丁売ったポルトガル人がこれなら儲かると
大量に持ってきたらすでに大量生産されていて売れなかった。
しかも射撃装置の構造不備が改善されていて、
反対に日本製を買って持って帰ったと言う笑い話。
57:
:2016/11/19(土) 02:08:31.10 ID:
ポルトガル商船ではなく
ポルトガル商人が二人乗った中国商船です
買ったのは二丁
しかし彼らがまた大量に運んできたとき
とっくに量産されててまったく売れませんでしたとさ
68:
:2016/11/19(土) 02:13:19.15 ID:
>>57
でも日本では硝石だけはほとんど採掘できなかったから、
火薬に関しては買わざるを得なかったけどね
213:
:2016/11/19(土) 12:25:11.11 ID:
>>68
火薬自体を売りたかった中国商船
しかし硫黄は国産できてた
成分分析できてた時点で、他の土人国とは違った
硝石は汲み取りトイレ周辺でとれるので
少しは生産したし
35:
:2016/11/19(土) 01:51:00.67 ID:
265:
:2016/11/19(土) 21:31:39.24 ID:
>>35
シナ王朝への朝貢品に馬や布だけじゃなく金銀も送ってるから
流通してなくても用意する必要はあったと思われる
41:
:2016/11/19(土) 01:56:11.56 ID:
100年前まで石器時代だった国なのに
ずいぶんと不思議な事を言うんだね
48:
:2016/11/19(土) 02:01:16.11 ID:
61:
:2016/11/19(土) 02:10:14.15 ID:
日韓併合で日本人に教わるまで、
風呂もトイレも文字の読み書きも知らなかったお隣の国、朝鮮では、
太古の昔に先祖が日本人に文化を伝えたという冗談が流行ってるようです
面白い流行ですね(爆笑)
71:
:2016/11/19(土) 02:17:13.24 ID:
72:
:2016/11/19(土) 02:17:49.57 ID:
倭寇にすら負け続けてた朝鮮軍が、日本の正規軍に勝てるわけないだろ
現実を見ろよ
79:
:2016/11/19(土) 02:21:46.58 ID:
>>72
>1の記事は珍しく壬申倭乱は朝鮮が負けたと書いてあるよ。
85:
:2016/11/19(土) 02:28:26.34 ID:
>>79
敗因を装備のせいにしていることに思わずつっこんだけど、
確かにいつもより、少しマシかなw
78:
:2016/11/19(土) 02:20:10.37 ID:
当時の日本と朝鮮を比較しても虚しくなるだけだぞ
軍事力も経済力も、今の日韓より差があるんだからな
86:
:2016/11/19(土) 02:28:52.56 ID:
106:
:2016/11/19(土) 03:03:28.03 ID:
>>86
大陸での貴金属の価値が銀>>金の時代にすら
属国留まりで直轄支配に乗り出してくる大陸王朝がなかった時点で
お察しください
94:
:2016/11/19(土) 02:35:04.14 ID:
明は銀を生産してたら朝貢を要求されるけど
生産せず埋もれたままにしておけばスルーしてくれたのか
それで生産せずにおいたなら今でも韓国には銀鉱山があるんだろうね
97:
:2016/11/19(土) 02:37:53.56 ID:
>>94
ないでw
朝鮮は常に金銀の朝貢要求されて、
朝鮮は毎年金銀調達に四苦八苦してたんや
わいにいわれんくてもわかってるやろけどなー
233:
:2016/11/19(土) 15:31:54.62 ID:
252:
:2016/11/19(土) 17:52:57.65 ID:
>>233
昔はあったけど、規模も小さかったし今は廃鉱。
朝鮮半島で豊富なのは鉄・モリブデン・マグネシウム・モリブデンあたり。
昔は銅も豊富だったみたいだけど、今はどうかな?
208:
:2016/11/19(土) 12:17:56.46 ID:
そもそも李氏朝鮮は金銀どころか
銅すら硬貨を全く鋳造してなかっただろ。
267:
:2016/11/19(土) 21:51:02.04 ID:
>>208
李氏朝鮮初期には楮貨という
一種の紙幣と銅銭が発行・鋳造されたんだけど、
貨幣としての信用と安全性を持つことができなかったので、
李氏朝鮮中期で楮貨は自然消滅して、
米・麻布・綿布が硬貨や紙幣の代わりに交換されていたんだよ。
1423年には朝鮮通宝という銅銭があったそうだけど、
銀貨や金貨は作られてない。朝鮮半島でも北朝鮮側には
金山、銀山はあったそうだけど、歴代の朝鮮王達は、
なぜか鉱山開発に消極的だったそうな
104:
:2016/11/19(土) 03:01:04.64 ID:
この記事を書いたヤツは
なんかすごい勘違いをしてるようだが
火縄銃の大半は堺とかの鉄砲鍛冶が作ったもので
ポルトガルからの輸入品じゃないぞw
112:
:2016/11/19(土) 03:33:15.29 ID:
朝鮮軍が負けた原因を秀吉軍の鳥銃のように書いてるが
明の記録だと倭寇相手にすら
「剣や槍では全然敵わない。有効な方法は鳥銃で遠距離から撃つことだが
それさえ日本人は命を顧みずに突っ込んでくるからやられる」って
書いてるよね。
113:
:2016/11/19(土) 03:35:13.50 ID:
>>112
そもそも当時の朝鮮に軍、もしくはそれに準ずるものは存在しない
だからこそ親分の明に助けを求めたのだし
117:
:2016/11/19(土) 03:52:24.67 ID:
>>113
いや、一応組織としてはあったでしょ?
腐りきってろくに兵も武器も無いような状態だったかも知れんけど。
119:
:2016/11/19(土) 04:03:53.84 ID:
187:
:2016/11/19(土) 10:24:36.13 ID:
朝鮮半島に銀の精錬技術があったなら、
銀の鉱山もあってその跡が残っていないとおかしい。
まさか全部露天掘りというわけでもあるまい。
そして、鉱山があるなら、鉱山を探すための探鉱技術や、
坑道を掘るための測量技術や土木技術もないとおかしい。
そういう、精錬技術があったならこれもあったはず、が
存在しないのに、なんで
「精錬技術は朝鮮起源ニダ」なんて言えるんだか。
202:
:2016/11/19(土) 11:29:10.61 ID:
>中宗反正後の1516年、朝鮮朝廷は行き過ぎたインフレーションを警戒して明国から大規模朝貢要求が入ってくることを恐れ銀鉱を閉鎖するに至る。
>朝廷が銀鉱を閉鎖し始めるとすぐに朝鮮商人らは地方役人たちと手を握ってまだあまり手がついていなかった日本の銀脈に注目し始めた。
16世紀の前半と言えば、おまエラ朝鮮人が
「倭寇の被害にあっていたニダ」とか言っていた時期じゃないか。
自分たちを被害者に仕立て上げるときには
「日本が倭寇として押し寄せてきたニダ」といい、
自分たちが技術を伝えたことにしたいときには
「朝鮮人のほうから日本に渡った」ことにするのかwww
204:
:2016/11/19(土) 11:45:29.50 ID:
>>202
仏像とか経典もそうだな。
日本に仏教を伝えたといいながら、仏像や経典は奪われたという。
学校に例えるなら朝鮮は
「教科書(仏典)もノート(写経)も家(日本)に持ち帰ることは許さん。
家で勉強する必要はない。」
というわけがわからん先生ということになる。
238:
:2016/11/19(土) 16:29:13.96 ID:
鳥銃ってなんぞ?と思ってググったら、支那朝鮮の先込め銃だった。
しかも日本の火縄銃より威力が低いとかw
241:
:2016/11/19(土) 16:54:35.23 ID:
245:
:2016/11/19(土) 17:12:37.54 ID:
>>262
有るだろ、確かに銀の精錬技術は朝鮮由来だよ。
石見銀山の灰吹法が朝鮮由来ってのが定説だ、
ただしその前に飛鳥時代に灰吹法が伝来している様だがな。
因みに(たたら)製鉄もそうだな。
262:
:2016/11/19(土) 20:45:20.04 ID:
>>245
定説ではないよ。
最近有力視する人たちがいるという話だよ>>163
元々中国説と朝鮮説がある。
163:
:2016/11/19(土) 09:41:49.90 ID:ZQ22vE+e.net
>当初、日本に初めて銀脈を求めて
銀採掘技術を持ってきたのも朝鮮人であることが分かっている。
また時系列を遡上して誇張しているな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80
>日本においては飛鳥時代まで銀を産出せず、674年の対馬銀山の発見が始まりである。平安時代はほぼ対馬のみの産出であったが、戦国時代までには各地に銀山が開発された。
対馬銀山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E9%8A%80%E5%B1%B1
>『日本書紀』によると、天武天皇二年(674年)に対馬島司忍海造大国(おしみのみやつこのおおくに)が同国で産出した銀(しろがね)を朝廷に献上したとされる。
>精錬法は広義の灰吹法とよばれるもので、唯一のまとまった記録である大江匡房の『対馬貢銀記』[3]によれば、高山四面に風を受くるの処に置き、松の樹を以ってこれを焼くこと数十日、水を以ってこれを洗い、解別してその率法(純度)を定め、その灰を鉛錫と為す。
>とある。
>対馬銀山はいまだ詳しい調査がなされていないが、黒鉱系で方鉛鉱鉱床に銀が濃厚にふくまれるタイプのものであったらしい[4]。発見当初は視認しやすい希少な自然銀のつぶが混在していて、これを溶出しようと工夫するうち、大量の鉛を松樹灰にじっくりと酸化吸着させることで純度の高い銀の分離が可能になっていったのであろう。
灰吹法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E5%90%B9%E6%B3%95
>1997年(平成9年)、本格的調査があった飛鳥京跡の「飛鳥池工房遺跡」において、近世に導入された骨灰を用いた灰吹法と同じ原理の、凝灰岩製坩堝(るつぼ)を用いた灰吹法、銀の精錬が行われていたことが判明した[4]。
>国内で確認されている銀の精錬は、16世紀の「石見銀山」(島根県大田市)が最も古い例とされていたが、 これらは7世紀後半となり、国内最古の銀の精錬となる[5]。
>日本には、戦国時代の1533年に石見銀山の発見に際して博多を通じ神谷寿禎が招来した吹工、宗丹及び慶寿(けいじゅ、文献により桂寿とも記される禅僧)の両名によって伝来された[9]。このとき日本に伝来した技術の系譜に関し、中国から伝来したと言う説[10]と、朝鮮から伝来したと言う説[1][11]があったが、近年では石見銀山資料館や島根県立古代出雲歴史博物館が「直接的には朝鮮から伝来したものといわれる。[12]」とし、また山梨県立博物館や新潟県立歴史博物館もこれにならっている[13]。
275:
:2016/11/20(日) 07:12:31.05 ID:
時代検証しないのは韓国クオリティ。
こんなこと言い出すから
自国の歴史を信用されないんだ。
280:
:2016/11/20(日) 18:19:29.00 ID:
こういう矛盾に気が付かない程度の知能だから
日本にボコボコにされたんだろうにw