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:2014/08/25(月) 14:42:51.07 ID:
[シンクタンク広場] 日清戦争120周年「甲午年8・15」 座談会

今年も光復と分断の「8・15」が訪れる(訳注:本記事は8月12日付に掲載)。今年の8・15は「甲午年の8・15」という点で、どの年よりも私たちに過去と未来の省察を求める。現在、国内外の政局が120年前の「1894年甲午年」の状況をそのまま想起させるためだ。当時、この地には「輔国安民と斥洋斥倭」を掲げた甲午農民革命が野火のように広がったが、朝鮮朝廷は清を駐屯させて日本を引き入れ、民たちの声を暴力で圧しつぶした。しかし、この地に入ってきた清と日本は間もなく清日戦争を起こし、私たちの生活の場を戦場に変え、そして戦争に勝った日本は「下関条約」を通じて朝鮮侵略をより露骨化させた。

120年が過ぎた今日、韓半島は、再び渦巻く東北アジア情勢の中央に立っている。「戦争できる国」を夢見る日本と、中国との対立、アメリカの覇権的軍事戦略、韓国と北朝鮮の対決様相などが東北アジアの緊張を高めているが、その衝突の危険がそっくりそのまま韓半島に集まる様相である。

はたしてこの状況をどのように見るべきか?
ハンギョレ平和研究所が平和・統一市民団体である「ウリキョレ・ハナテギ運動本部(民族が一つになる運動本部)」(理事長:イルル・テリム)と共に、今年の8・15の意味を探る特別座談会を用意した。長い間、親日清算問題に力をつくして来た任軒永(イム・ホニョン)民族問題研究所長と韓・日平和勢力の連帯を主張してきた徐勝(ソ・スン)立命館大学特任教授が同席した。座談は8月5日にハンギョレ新聞社で行われ、司会はイルル・テリム理事長が引き受けた。

旧韓末の状況との類似点と相違点は

イルル・テリム(以下、イルル):
光復69周年が近いが、韓半島がややもすれば旧韓末の戦地に逆戻りするかも知れないという心配が先に立つ。当時と今現在とで似ている点は何か、異なる点は何か、当時の苦難を繰り返さないためには、私たちは何をしなければならないのか、などを整理してみたいと思う。

任軒永(以下、任):
まず日本の場合、解釈改憲は性格は異なるが、第二の桂・タフト密約改訂版と呼ぶに値する。桂・タフト密約は、露日戦争直後に米・日がアメリカのフィリピンに対する支配権と日本帝国の大韓帝国に対する支配権を相互承認したものだ。日本の解釈改憲は、アメリカと日本が力を合わせればできないことなど何もないという傲慢であり、東アジアの平和に対する露骨な挑戦だ。

徐勝(以下、徐):
桂・タフト条約は、比較的対等な立場で米・日が分け合うことにしたものだ。しかし日本の集団的自衛権行使をアメリカが容認したのは、日本の従属的性格に土台を置いているという点で、当時とは大きく異なる。清日戦争と露日戦争の時は、日本軍国主義の最盛期だった。しかし現在、日本は周辺化されており、東アジアの中心から押し出されている。安倍政権の日本が右傾化の段階を越えて軍事大国化、軍事主義へと走り出しているのには、当時への郷愁も大きく作用している。

任:
現在の状況で日本が集団的自衛権を通じて戦争が可能になるなら、我が国がその被害者になる可能性が高い。今後何らかの戦争が起きれば、私たちが最大の被害を受けるでしょう。この問題はおそらく、私たちの子孫を長く戦争の恐怖のなかに追いこむ結果をもたらすでしょう。それなのに、韓国の政治家たちは何か遠い国の話のようにしていることは、大きな問題だと思う。

韓国のメディアと政治家は、日本の政治家たちがそんな話をすればそれを妄言だと規定する。しかしそれは、日本の政治家たちにとっては妄言ではなく本心だ。その胸中には、はるかに大きな侵略の欲望が隠れている。私たちは妄言という表現を通じて、こういう日本の右翼の欲望を正しく看破できなかった側面がある。今後は妄言という言葉は使わない方がいいだろう。むしろそれが、日本の右翼の下心だし野望だと言って、日本の欲望を直視して対応策を用意しなければならない。

徐:
現在日本ではアメリカが軍事権を掌握しており、外交権もアメリカの指導下にあるという点で、事実上アメリカの属国だ。したがって集団的自衛権問題もアメリカの立場としては、韓半島だけでなくシリアなど世界各地で展開される軍事問題に傭兵として日本軍や韓国軍を実際に使うという意図もあると思わなければならない。もちろん、日本もこれを機会と見なして独自に軍事力を増強しようと思うだろう。同床異夢だ。しかし在日米軍が存在する限り、日本が独自の軍事行動を行うことは難しいと考える。

ソース:ハンギョレ 2014.08.25 10:03
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/18115.html

続きます