韓国 夜景 繁華街 
(イメージです。)

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:2014/11/09(日) 18:06:55.03 ID:
英国とアルゼンチンによるフォークランド紛争で英国が勝利してから3カ月後の1982年9月、サッチャー英元首相と中国のトウ小平・中央軍事委員会主席が北京で会った。アヘン戦争以降、英国が植民地統治してきた香港を中国に返還する交渉を行うためだった。

まずトウが機先を制した。双方の出席者に「香港はフォークランドではなく、中国はアルゼンチンではない」と語った。その後も微妙な発言が相次いだが、サッチャーはそれをかわした。そして、サッチャーがトウの示した「一国二制度」構想について、「香港の特殊な歴史的環境を考えると想像力が豊富な解決策だ」と持ち上げると、会談は順調に進んだ。

トウは香港の制度を1997年の返還以降、50年間は変えず、香港人による自治を維持すると約束した。サッチャーが「なぜ50年なのか」と聞くと、トウは「そのころには中国の経済水準が先進国に追い付くと望んでいる」と答えた。

トウの構想は1978年に始まった改革開放政策の足掛かりとして香港を50年間活用していくというものだった。ところで、17年後の先月、香港紙信報の陳景祥編集長が「プレミアム朝鮮」に寄稿した。タイトルは「中国はまだ香港が必要なのか」だった。陳編集長は「中国が世界2位の経済大国に浮上した今、『二制度』よりも『一国』を強調し、自治権を制約している。今や香港は中国にとって特別な存在ではなく、これ以上の特別待遇はないという点を強調しているのではないか」と問い掛けた。

香港は1980-90年代に韓国、シンガポール、台湾とともに「アジアの四小竜」と呼ばれた。香港の富裕層はカナダのバンクーバーに大挙移住し、バンクーバーは「リトル香港化」した。ニューヨークのマンハッタンで西洋のブランドをまとい歩いてる粋な美男美女は多くが香港出身だ。

しかし、香港人のプライドは長続きしなかった。強力なライバルが出現したからだ。それは上海だ。世界的な金融機関が香港ではなく上海に進出し、香港に寄稿していた船舶も上海に近い洋山港にシフトした。昨年香港の経済成長率は2.9%にとどまったが、上海は7.7%成長した。香港の経済発展が遅れ、トウ小平の自治の確約もだんだん薄れゆくムードにある。英国が去った後、自治を望む香港人の運命は原っぱの雑草のように風に吹かれている。

今回の香港の事態は、ともにアジアの竜と呼ばれた韓国に対し示唆する点が多い。香港のように韓国も経済的に中国との関係が密接化している。一方、ソウルの経済成長率は上海どころか香港にも及ばない2.0%(2012年)にすぎない。万一米国まで立ち去れば、どうなってしまうのか。

香港は中国語で「シアンガン」と呼ばれ、「香りがする港」という意味だ。しかし、香港のその香りは今、上海が放つ強い香水のにおいに押されてしまっている。ソウルもやがてそうならないか心配だ。

金起勲(キム・ギフン)プレミアムニュース部次長
ソース:朝鮮日報 2014/11/09 08:16
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/09/2014110900181.html?ent_rank_news